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松居直美「J.S.バッハ:フーガの技法」@ミューザ川崎シンフォニーホール

クラシック2014-02-12 00:15

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初めてパイプオルガンのコンサートへ行ってきました。場所はミューザ川崎シンフォニーホール、松居直美さんによる演奏で、曲はJ.S.バッハ最晩年の(とされている)未完の大作「フーガの技法 BWV1080」全曲。

実はこのコンサートいわくがあって、本来は、3年前の2011年3月12日に開催される予定だったのです。私は前売りも買っていて、当日を楽しみにしていたのですが、ご存じの通り前日に震災があって、しかもミューザ川崎では天井の仕上げ材が落下するという事故が起こる。コンサートは中止となり、ホールは長い休止期間に入ってしまいました。
それから2年におよぶ修復工事を経て、2013年4月にホールは再開。無期延期となっていた当公演も再度企画が立つ運びとなり、晴れて3年越しでの実現となったわけです。

本作「フーガの技法(Die Kunst der Fuge)」は、14のフーガと4曲のカノンからなる作品。私が初めて聴いたのはグールドによるオルガン版(コントラプンクトゥス9までの抜粋)で、次いでコープマン盤(チェンバロ)、ムジカ・アンティクヮ・ケルン盤(器楽アンサンブル)、それにヴィオール・アンサンブルのFretworkによる全曲録音、高橋悠治氏によるシンセサイザー版、なんていうのも聴きました。途中でぷっつり途切れている未完のフーガの扱いかたも含めて、本当に色々な解釈の余地が残されている作品です。

さて、初めて生のオルガンの音を聴いてみて、かっちりしたコンサートホールのオルガンだからか、概ねCDなどで聴いた印象と大きな差は感じませんでした。本場の教会のオルガンなどはまたまったく違うそうですが、わりと残響もすっきりしていて聴きやすいクリーンな感じ。ただ音色によっては、広いホール内の空気をまるごと満たしてしまうような迫力があったり、逆に囁くような繊細な響きがあったりで、その立体的なダイナミクスが実感できたのはコンサートならではでした。

あと、オルガンのビジュアルのインパクトはやはりありますね。縦横10mにも及ぼうかという威容、5248本もの大小の金属パイプを備える巨大メカとしての楽器の迫力は、改めて目のあたりにすると狂気のようなものが。しかもホールの高い位置にあって、暗闇のなかにスポットが当たると、そこだけが浮かび上がっているように見える。観客に背を向けて演奏する姿も、私にとってはなんだか新鮮でした。

松居さんの演奏は淡々と澱みなく、しかし力強いもので、休憩なしの2時間弱に及ぶ全曲演奏中、終始一貫して集中力とペースを保っておられました。コントラプンクトゥス1のあと少し間を空けて、以降は連続して。重厚なフーガがある一方で、コントラプンクトゥス9やa3の三連符の鏡像フーガみたいな、踊るような作品はあくまで軽快に。

オルガンならではの、鍵盤ごとの音色の違いによる声部の弾き分けは、確かに分かりやすいところもありました。と言っても、単純に片手がひとつの声部を担当するわけじゃないし、絶えず交錯するので、やはりきちんと聞き分けるのは私にはすごく難しいけれど。ストップ操作をしている様子が一切なくて意外だった。今のオルガンはなにか電子的に操作しているのでしょうか。

最後の未完のフーガ、B-A-C-Hの音型はもっとさり気なく入っていたような印象だったのですが、改めて聴くとものすごく主張していますね、これ。叫んでいるような感じ。そして最後は譜面通りに途切れて、今回は、コントラプンクトゥス1を再度演奏して終わりました。この終わりかたいいですね。誰かが書いていましたが、CD聴いててここでプツッと終わると、何もない宇宙に放り出されたようで不安になる。ゴルトベルク変奏曲のように最初に戻ってくるというのは、長い宇宙旅行を終えてちゃんと地上に帰ってくるイメージで、いいなと思います。

アンコール、挨拶などは無し。かえってこの点から、複雑な経緯を経て実現した本公演に対する、松居さんの強いメッセージを感じました。

ここからは余談。

聴きながらぼんやり考えていたのは、「フーガの技法」の楽しさを、他種の芸術でどう例えればいいかということ。つまり、ミニマルな主題が執拗に繰り返されることによる恍惚、昂揚感というのは、例えばテクノのグルーヴとほとんど同一のものだと私は考えている。でも、たぶんそれだけじゃない。

「フーガの技法」は、一般的にはきっと、"難解"とされる部類の作品になるのだと思います。カンタータのアリアのように口ずさめるメロディーもないし、受難曲のようにドラマチックでもなく、各曲の表題も「正立形主題による4声単純フーガ」みたいに事務的でそっけない。そもそものフーガの主題が、なんだか地味で暗いし。それでいて全曲聴くとなるとたっぷり1時間半はある。ぱっと聞いて同じような単調な音が、ずうっと続くわけです。

例えば…クラシック音楽の、もっと言うと現代音楽とかの先鋭的な芸術に対して、「分かる/分からない」という評価軸があります。この芸術は自分には分からない、とかね。これが個々人の感性の違いに基づくものである場合、分からないものを「分かる」ようになるのはすごく大変だと思います。もしかすると、永遠に分からないかもしれないし。

だけど私の印象では、「フーガの技法」に代表されるようなバッハ作品の場合は、たとえ一見難解であっても、これとは全然違う。分かろうとする(主体性をもって聴こうとする)と、必ずその分は「分かる」ようになるのです。つまり、純粋に厳格な法則性に基づいて編まれた物理の教科書を読んで、世界の複雑さの一端を知るというか。
以前BBCのドキュメンタリーで、大バッハのことを、芸術家というよりも、「音に関する自然の法則を発見して体系的に編纂した物理学者」というように評していた方がいました。好きとか嫌いとか、感性の次元の話ではないからこそ、誰にでも「分かる」可能性のある、ある意味で万人に開かれた作品なのだと思います。

私も、もちろん全体像が分かったわけでは到底ないけれど、迷宮の入口くらいには立っているのかな。今回の念願のオルガン全曲演奏、脳をフル回転して聴き入っていて、あっという間に感じました。こんな興奮はバッハでしかないし、やはり今のところは、他の芸術には例えようがないです。

「フーガの技法」に関連して、過去にこんな記事も書いていますので、ご興味があれば。

シンセサイザーと「フーガの技法」 | EPX studio blog
http://www.epxstudio.com/blog/2012/0102_the-art-of-fugue-on-synthesizer.html

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