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マン語りvol.6 第2部「日常・生活系マンガ特集」

漫画2011-01-31 18:06

先日中野でHTC*さんにフライヤーをいただいたことがきっかけで、漫画をテーマにしたトークイベント「マン語り」に行ってきました。場所は、荻窪のカフェ兼イベントスペース、ベルベットサン。
イベントでは、第1部で「2010年に出たマンガ」、第2部で「日常・生活系」がそれぞれ議題に。今回参加した第2部では、主宰の吉田アミさん、中村賢治さん、元ボアダムスの山本精一さんが、2時間くらいかけてトークしていました。

序盤は、ざっくりと定義の話に。「日常・生活系」と一緒くたにしてしまっていたけど、「生活系」には多分にネガティブな要素が含まれたり、食マンガやエッセイマンガともクロスオーバーする部分があるので、ここでは「日常系」とは区別しましょうという前提。
そのうえで、いわゆる「日常系」マンガの先駆けとなった『あずまんが大王』や、その流れを汲む『よつばと!』の特徴についての話になり、さらには「あずまんが以前」の4コマ文法(『OL進化論』やいしいひさいち周辺)、「あずまんが以後」の作品の紹介と続いた。

とても興味深いトークだったんだけど、個人的にはもう少し掘り下げた議論が聞きたかったな。類型作品を分類したりとか、商業や同人を含めたやマンガ全体のムーブメントにおける位置づけとか...。HTC*さんによれば、終演後のセッションでそういった話になったらしく、やっぱり会場内やUstreamなんかで双方向的に進めたほうが、濃い展開になったんじゃないかなと思います。

「日常系」って要するに、ファンタジーなんですよね。ドラマを描かないばかりではなく、人間関係における性や悪意や、現実を構成する要素の一部を、意図的に排除している。にもかかわらずそれが「日常」と括られるのは、それが架空の世界のお話だからであって。だから、正確に表記するならば、括弧つきで「<日常>系」、あるいは「観察系」なんかがしっくりくると思う。私たちにとっての非日常を、キャラを通して詳細に語られるディテールを通して、追体験する仕組み。

あまり共感は得られないと思うんだけど、『渡る世間は鬼ばかり』という作品、これは完全なる、テレビドラマ界の「<日常>系」ですね。ひとつひとつセリフ回しから各人物のとる行動まで、この作品は、橋田さんというおばあちゃんの脳内で完結している世界であって、視聴者はその水槽を外側から傍観している構図。枕元に置いた『あずまんが』をだらだら見るのと、『渡鬼』をながら見するのは、体験としては似てますね。

さらに言うと、架空世界のディテールを細かく描くと、必然的に作者のフェティシズムが投影されていくので、キャラ萌えに繋がりやすいんじゃないかなと思います。『渡鬼』の若い男性キャラは、私に言わせればまったくリアルじゃなくて、あくまで「おばあちゃんが考えた若い男」なんだよね。『あずまんが』に対する女性読者の感想は、なんとなく分かります。
まあ、えなりくん=ちよちゃん、とまでは言わないけど。

そういえば、イベントで山本精一さんが言ってて面白かったのは、ディテールを細かく描くにあたり、作者は「知っていることしか描けない」ということ。だからこそ、女性キャラをリアルには描けないし、『よつばと!』のお父さんは家で仕事をしているのだ。

「<日常>系」がマンガのメインストリームになる、たとえばベスト10を独占するとか、そういうのはあり得ないよね、ってのが、イベントでの共通した認識だったみたい。今の時点では確かにそうで、ドラマ性を含まないマンガに対して「何か面白いのかわからない」という評価があるのは、よく分かっているつもり。
そもそもが、作品にドラマを求めてないってだけなんだけどね(あくまで、私の場合)。

ともかく『あずまんが』が投じた一石について、改めて考えさせられたトークイベントでした。

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