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『あせびと空世界の冒険者』

漫画2015-10-19 23:05

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参加歴だけはそれなりに長くなってしまったコミティアにおいても、私の場合、継続して作品を追い続けている作家さんというのは決して多くはないのですが、そのひとりがサークル「雲形発着場」の梅木泰祐さんです。今月13日、その梅木さんの商業誌連載作品の新刊『あせびと空世界の冒険者(4)』(以下、あせびさん)が発売されたので、感想などを交えて簡単な紹介を書いてみたいと思います。

あせびさんは大まかなジャンルでいうと、ファンタジー/SFを題材にした王道の冒険漫画です。舞台は、大空に浮かぶ島々。宙を泳ぎ徘徊する巨大生物「竜魚」と、竜魚から船を守る戦闘員「衛士」の少年ユウ、謎めいたアンドロイドの少女あせびの冒険を軸に、さまざまなドラマが展開します。絵柄はポップでコミカル、でも時にシリアスで、本格的な格闘アクションもある。この作品自体の魅力については、後ほどくわしく。

作品は月刊誌COMICリュウで連載されており、単行本が現在4巻まで出ています。お話的にも、4巻までで一旦ひとつのエピソードの区切りがついた形となっており、このタイミングで読み始めるのはとってもおすすめできます。
以下の公式サイトでは、第1話にあたる23ページが試し読み公開されています。

あせびと空世界の冒険者|月刊COMICリュウ
http://www.comic-ryu.jp/_asebi/index.html

同人作品『クラウディア航行記』

で、実は、あせびさんには直接の前身にあたる作品があります。それが、梅木さんが2007年から創作系同人誌即売会「コミティア」で継続して発表して来られた『クラウディア航行記』。オフセットで通巻で8巻まで出ており、一部は総集編という形でも発表されています。
これは、登場キャラクターこそ異なるものの、あせびさんと作中世界設定を共有する作品で、つまりは「空世界」の竜魚と衛士、それをとりまく人々のお話です。

コミティアで初めてこの作品を見つけたとき、抜群の画力と魅力的なストーリーにすっかりやられてしまい、一気にファンになりました。そのときはまだ1巻か2巻くらいしか出ていなかったと思うのですが、ちょっとお話しさせていただいて、まだプロの作家さんではないと聞いて、コミティアの底知れなさに驚いたことを覚えています。1巻の時点で、めちゃくちゃ絵が洗練されていて、何より漫画として超面白かったんですよ。

この作品の主人公は、少年衛士のロゼ。腕利きでありながら年不相応に気難しく、トラブルメーカーでもある彼を雇い入れたのは、こちらも気丈でいささか性格に問題のある船長のリコ。彼女の妹エイカらとともに、飛行船リーベル号と乗組員たちにまつわる物語が、一話完結のオムニバスとして描かれます。

まず面白いのが船の描写で、緻密でありながら無駄のない線で描かれた飛行船の数々は、いろいろなゲームや漫画に出てくるような空想の産物でありながら、スチームパンク的フェティシズムに溢れています。ちょうど『ラピュタ』の飛行船や、『FF』の飛空艇をイメージしてもらえるといいのですが、ああいうファンタジー的なモチーフを真正面から描いているのです。ほとんど刷り込みのようにして、ここにロマンを感じる人は多いんじゃないかなあ。

この飛行船を襲う恐ろしい巨大生物、「竜魚」とのガンアクションが見どころのひとつ。衛士たちは専用の巨大なライフル銃をもって竜魚に対するわけですが、この戦いかたにも当然操舵法や竜魚の生態に基づく戦略性があり、ロゼたちがいかに困難な状況を知恵を絞って突破するかということが、物語のブレイクスルーと重なります。

しかし、物語の骨子にあるのは、あくまでキャラクター同士による生き生きとした人間のドラマ。例えば、才能に溢れたロゼがなぜエリート衛士団を蹴って小さな商船の雇われになったのかとか、あるいはリコが若くして一隻の船長となり、また妹を連れて危険な航海を続ける本当の理由だとか、またあるいは、友人との再会をきっかけとした挫折と再起の物語だとか。
これらが、シリアス一辺倒ではなく、あくまでかわいらしくコミカルなタッチで表現されているのが特徴だと思います。そう、キャラがかわいいんですね。そして少年少女に加えて本作にはかなりの割合でおっさんが出てくるのですが、おっさんがかわいいのです。

刊行ペースは決して早くはなく、年4回開催のコミティアにおいても、1年以上間が空いてしまうこともあったりして。とにかく内容がぎっしり詰まった密度の濃い作品なので、制作には時間がかかるだろうなあというのは想像に難くないのですが、基本は読み切りのため気長に次を待つというスタンスで応援してきました。

『クラウディア航行記』は、在庫のあるタイトルについては現在COMIC ZINでも取り扱いがあるようです(サークルの作品一覧ページ)。初期の作品はほぼ在庫切れになってしまっているようですが、前述のとおり読み切りベースなので、後半のタイトルだけいきなり読んでもまったく問題ないと思います。例外的に、7と8だけ前後編の続きものになっています。

COMICリュウ連載『あせびと空世界の冒険者』

さて、そんな梅木さんの初の商業作品が掲題のあせびさんです。私はとにかく、クラウディアはいつか絶対に大きく評価される作品だと(勝手に)思っていたので、世界観を一にする本作がリュウの看板作品のひとつにまでなったことは、作家さんのファンとしてすっごく嬉しいです。描きたい作品をこつこつ描いて来られて、まさにその描きたいもので成功されたのですから。こんなに面白い漫画が売れないわけがない!とずっと思っていました。

ただ、あせびさんにはクラウディアになかった大きな要素がひとつあって、それが「SF」なのです。クラウディアの空世界における科学技術の水準は、せいぜいが近世から近代までがモチーフとなっているように思うのですが、本作では明らかなオーバーテクノロジーとして、古代文明が開発したとされるアンドロイドが登場します。というか、主人公のあせびさんがアンドロイド(人型モジュール)です。
飛行船で大空を駆り未知の世界を冒険するという直球ファンタジーであった「空世界」に、アンドロイドの自我を巡る主題など、こちらも直球のSFスチームパンク要素を合体させたものが本作と言えますね。

主人公ユウは、クラウディアのロゼと同じく衛士の少年なのですが、性格付けがまったく違います。気難しく意固地なロゼと異なり、ユウは基本的に人当たりもよく、あせびの理解者としての優しい性格が強調されています。衛士としての技術もまだまだこれから。ただ、勇気と実力によってエゴを貫き通す一面は同じで、作中ではタフな対人格闘シーンもけっこう出てきます。

パートナーのあせびは、アンドロイドというシチュエーションもさることながら、キャラ造形としてもクラウディアにはいなかったパターン。敬語ツンデレキャラという立ち位置と、ユウの彼女に対する呼び方などから、本作の少し長いタイトルも省略してつい「あせびさん」と呼びたくなります。そもそも、西洋ベースの世界設定で「あせび」「つくし」「つばき」など、純和風の名前がときどき出てくるのも面白い。

ドラマを描く上手さも変わっていなくて、本作ではそれが長めのお話になったことで必然的にスケールアップされています。例えば、あせび以外では初めて登場することとなるアンドロイド、ダリアを巡る物語は、数話にわたる連作を経て、今回新しく出た4巻をもっていったんの結末をみる形になります。この終わりかたは本当に切なくて、ラストカットのダリアの表情が忘れられない。敵としてユウとあせびの前に立ちはだかるダリア、そして歴戦の衛士グラムですが、彼らにもそれぞれに戦う理由があることがこの巻で明かされる。そこへ導く展開が、本当に上手いなあと思います。

空に浮かぶ島々を舞台にした少年少女の冒険物語って、言ってしまえば定番ではあるんだけど、それ以上に私のなかでは憧れの強いテーマなのです。たとえそれが前述のようなアニメやゲームの有名作品による「刷り込み」によるものだとしても。こんな世界を描いてみたかったし、読んでみたかった!
だけど、それが単に理想化された表面的な記号遊びではなく、ドラマ性と画力を兼ね備えた、あせびさんのような優れた作品として結実したことは、まさに梅木さんご本人やCOMICリュウの編集者の方々の努力の賜物。これからもっと人気の出る作品だと思います。

なので、個人的な話になるけれど、去年11月のコミティア110でたまたまサークル配置が「雲形発着場」さんの隣になったことは、すごくうれしかった(コミティア110でした | EPX studio blog)。いろいろとお話もできて、あせびさん1巻にサインもいただいてしまった。描きたいものを描く、そして「描き続ける」ということの大切さを教えてもらいました。

連載でお忙しいとは思いますが、クラウディアの続編、ロゼとリコとエイカの物語の続きも楽しみにしつつ。まずはあせびさん4巻、発売おめでとうございます。

Google Cardboardを試す

日記2015-10-15 01:44

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昨日、Google Cardboardの多言語対応がニュースになっていて(スマホでお手軽VRを実現する「Google Cardboard」が日本語を含む39言語に対応 -INTERNET Watch)、そういえばちょっと興味があるんだったと思い出して。Amazonで検索したら、Google規格の簡易ビューアーが国内でも安価で購入できることを知り、速攻でオーダーしました。ハコスコ製の税込1,000円のものです。ニュース効果か、20個近くあった在庫が夜にはなくなっており、現時点では在庫切れのままの模様。
で、今日届きました。

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こんなような状態で届いて、パカッと開けて裏返して、既に付いているマジックテープをペタッとすればもう完成です。私は手持ちのスマートフォンがNexus 6なのですが、対応しています。2015年5月のGoogle I/Oで発表された規格(Ver.2)のモデルでは対応しているみたい。

磁石のスイッチもついています。これは現物を見るまで仕組みが謎だったのですが、要は簡単なことで、右面上部のボタン状のフリップを押し込むと、連動して磁石がスマートフォンの背面中央に接近して、端末の磁気センサーが反応するというものでした。端末をセットすると画面がタッチできなくなるので、そのための簡易的な入力装置ですね。

試してみると、「わー、まるでその世界に入ったみたい!」的な驚きはそんなになくて、まあなるほど…という感じです。それは解像度だったり、フレームレートだったり、それより何より視界の狭さだと思うんだけど、現状では、こういうこともできますよみたいな技術デモだなあと。これがVRだと言われてしまうと、うーんという。

ただ、そのへんを大きく差っ引いたうえで、とってもおもしろいです。特にCardboardアプリはよくできていて、すぐに体験できるデモがスマートに陳列されている。陳列というのは文字通りで、装着して前を見るとずらっとアイコンが並んでいるんですね。で、顔の動きに合わせてポインタが連動して、磁気ボタン押し込みで「実行」。端末が縦になるように顔を傾けると「戻る」。振動によるフィードバックもあり、なかなかいい印象。

意外に楽しめるのがマイ動画。横と背後に散らばっているサムネイルから選択すると、前面のスクリーンに大きく動画が表示されます。けっこう臨場感があって、出先で撮りためた動画を見るだけでも、小さい画面でみるときと印象が変わる。あと、PhotoSphereによる360°パノラマ写真とかも。

色々試してみて区別しなきゃいけないなと思ったのは、360°パノラマの表示と、3D立体視は別だということです。例えば、YouTubeにはGoogle公式の#360Videoというチャンネルがあって、Cardboardに対応している動画をざっと探せるのだけど、ここは基本はストリートビューのカメラで撮ったような全天周動画で、立体視というわけではないのです。
一方で、立体視に対応しているコンテンツはそれなりに没入感が得られます。Tuscany Diveというデモでは、歩き回りながら庭や家を探索するというだけにも関わらず、妙にリアルな疑似体験が新鮮でした。

あと一応、Portal 2を3D立体視化してCardboardで見てみる、というのも試してみました。これは若干手順がややこしくて、概略だけ書いておくと、AndroidにはTrinusVRを、PCにはTrinusVRのサーバーソフトとTriDef 3Dをインストールし、それとTriDef 3Dからゲームをウィンドウモードで起動できるようレジストリを変更する(TriDef-3D-Ignore-Requires-Fullscreen.regなどの)用意が必要でした。TrinusVRというのが、PCから端末へ映像をストリーミングするソフトウェアなのですが、フルスクリーンには対応していないためです。
試してみた結果、確かに、3D空間になったPortal 2の世界を自由歩き回れる!…のだけど、やはり視界が狭いせいかCardboardではいまひとつでした。そして酔いそう。

なんにせよ、気になっていたのでこの機会に試すことができて良かったです。
私はVRには(かなり)期待をしていて、それはOculus Touchの発表なんかを見て、物理肉体を超えたSF的な何かへと安易にイメージが飛躍してしまうからなんだけど、それはそれとしても。ゲームなんかにしても、もはやグラフィックがいくら美しくなってもハードに魅力は感じないけれど、VRはひとつ壁を超える可能性があると思っています。世の中的には、3D(3Dテレビや、ニンテンドー3DSの3Dに特化したコンテンツ)がいまいちウケなかったこともあり、一過性のブームで終わらせてしまうことに警戒感があるような気がします。

Cardboardに関しては、今回の多言語対応などによって、これからもう少しおもしろいコンテンツが出ることを期待して。また何か気づいたことがあれば、別の記事で書くかもしれません。

Google Cardboard – Google
https://www.google.com/get/cardboard/

最近観た映画から(2015年8月~9月)

日記2015-10-01 16:45

最近観た映画についての感想メモです。この期間に観たなかで、特に良かった『キングスマン』については、すでに個別のエントリーに書いていますのでそちらで(『キングスマン』を観た | EPX studio blog)。

ジュラシック・ワールド

ニンジャヘッズの方たちにお誘いいただいて、立川で大勢で観ました。みんなで観てワイワイ感想を言ったりするのは久しぶりで楽しかった。で、まさにそういうシチュエーションにお誂え向きの映画。特段どこか抜きん出ているとは感じなかったけれど、パニック映画にありがちな「お約束」を、律儀に端から全部やってくれる優等生の娯楽作品でした。

例えば、主人公の子供2人はまず傷ついたりすることはないのでどんな局面でも安心して観ていられるし、ヒーロー&ヒロインの無敵の活躍ぶりも、小悪党に訪れる因果応報も。お目付け役のお姉さんに対するオーバーキルにはちょっと笑っちゃったけれど。3Dで観たのですが、生き生きと動く恐竜同士のバトルはさながらディスカバリーチャンネルで、CGとはすごいのだなあとふつうの感想を。

サルート・オブ・ザ・ジャガー

以前、ニンジャスレイヤーのヘッズイベントで『ブレードランナー』でレプリカント役を演じたルトガー・ハウアー主演映画の話になって、この作品と、次に挙げる『ブラインド・フューリー』を薦められたのでした。さっそくレンタルして視聴。

本作は『マッドマックス』に通じるような、核兵器により荒廃した近未来の地球を舞台にしたSFスポーツアクションです。スポーツというのが面白いところで、この競技がほぼ殺し合いなんですね。殺人サッカーか殺人ラグビーかというような。だけど、あまりくどくどと設定の説明はせず、淡々と主人公の少女が成長していく様(と謎めいたベテラン選手のルトガー・ハウアー)を追った、冒険譚めいたロードムービーなのです。

地下都市の描写はまるでファンタジーで、デル・トロの『ヘルボーイ2』を連想させる良さがあった。最後は少し尻切れかなと感じていたら、どうも編集違いのバージョンがあるらしく、話だけ聞くと私が観ていないほうのが良さそうだった。

ブラインド・フューリー

ルトガー・ハウアーが、盲目で仕込み杖を携えた無敵の素浪人(つまり座頭市)になりきって、ショー・コスギとかをバッサバッサと倒していくという、テレ東の午後ロードでやっていたらBGVとして最高の類の映画でした。わりと無表情で不器用な役柄が多かったけれど、今作では小さな男の子を相手に比較的表情豊かでコミカルな芝居もしていて、ちょっと意外。正直言って殺陣が全然だめだけど、すごく頑張っていて応援したくなる。

アメリカン・スナイパー

公開時に観に行けなかったので、ようやく。戦争自体の是非について問うことは巧妙に避けつつも、アメリカ人にとって戦場と本国での日常生活が完全に地続きであることの不気味さと異常性を、現実味をもって淡々と伝える作品でした。ただ、最後にあの国葬のような扱いの実写映像を挟んできたことによって、英雄譚のような性格の作品に寄ってしまったのは個人的には残念で。メイキングを観たら、遺族の意向が強く反映されているようで、そこはさして事件から年数も経っていないこともあり、仕方がないかな。

戦場の映像の生々しさはやはり重い。家宅捜索で虱潰しに当たっていくことの途方もなさ、「泥沼」感は素人にも分かりやすかった。一方で、日常生活サイドではラブストーリーのパートがあまりにも何も起こらなくて、事実を美化しているとはいえ、テンプレ通りのラブラブ夫婦で退屈なのがなあ。難しいところ。

ハッピー・フィート

ジョージ・ミラー監督の作品をまったく知らなかったので、手始めに『マッドマックス』から一番遠そうな作品から順番に観てみることにしました。これは、南極を舞台にCGのペンギンがタップダンスを踊るミュージカルアニメ映画。結果、意外にも『マッドマックス』っぽいシーンがたくさんあって笑いました。面白かったよ。

ペンギンが滑っていくシーンのカメラワーク、特に遠景からアップまでシームレスにグーンと寄っていくようなところは、ウォーボーイズとのカーバトルさながらで。あと、クライマックスを前に主人公が捨て鉢の覚悟を決める美学なんかは、やはりこういうノリが好きなんだなーみたいな。

セッション(Whiplash)

私はこれ、有望な若手ジャズ・ドラマーが鬼教師のしごきを経て、成功を掴む映画だと思っていたのですが、まったく違いました。その意味での意外性はあった。ただし、観終わったあと心に残ったのが、ファックファック言う汚い罵声と、ただの騒音に等しいドラムの音だけだったというのが…。これを観て音楽が好きになるとか、ジャズに興味を持つ人はいないだろうなあ。

本作に登場するフレッチャー教授は、厳格であるが優れた指導者"ではなく"、単に理由のない言葉の暴力(それも人権侵害レベル)によって弱い立場の学生より優位に立とうとするサイコパスで、その事実がじわじわと暴露されていく過程は良かった。けれども、であるならば、それと対になる解決編を音楽によって示してほしかった。そこが一番期待していたポイントだったんだけどな。
いや、プロットだけ追うと概ねそのような筋書きなのです。ただ、何が引っかかるのかと考えたら、本作では音楽の良さについて「テンポに正確な演奏」と「超人的な速弾き」のたった2つの価値観しか示していないんですね。そもそもなんかこの2つ、矛盾しているような気もするし…。これは例えて言えば、優秀なプログラマーの映像表現として「ミスタイプをしない」「タイピングが早い」だけを強調しているようなことだと思うのです。見た目に分かりやすいのかもしれないけどさあ。

実は、公開当時の本作をめぐる菊地成孔さんと町山さんの論争は、概略だけは追っていて中身を読んだことがなかったのですが、観たあとに改めて読んでみると、これに関しては私は菊地さんの意見に深く納得しました(例の文章は、ちょっと支離滅裂ぎみで真意を測りかねるところもあるのですが)。

これだったら『坂道のアポロン』の学園祭シーンのほうがよほど「セッション」だと思うし、プロフェッショナルが音楽によりブレイクスルーを目指す映画だったら『25年目の弦楽四重奏』だし、なんなら『伝説のマエストロたち』や『合唱ができるまで』のような本物のドキュメンタリーや、もっと言えばコンサートのライブ映像を観るほうが、私にはいいなあ。

結局のところ、主人公が初めから終わりに至る過程で、何を得て、何を失ったのかというのが物語作品の本質だと思うんですけど、本作ではそこに意味が見い出せないのでした。どう終わればまだマシだったのかと考えたら、これはですね、最後に舞台上にフレッチャー教授に虐げられた学生が次々に現れては凶弾を浴びせて、BGMのテンポに完璧に合わせる形で、フレッチャー教授が爆発していけばいいと思うんですよね。どうも最近そのような映画を観た気がするんですが。

言の葉の庭

『セッション』があんまりの作品だったので、口直しに続けて観ました。これは良かった。新海誠さんの作品はほとんど観たことがなくて、この作品を観たいと思ったきっかけは、ある海外の動画レビューで優れたアニメ作品として紹介されていたからなのでした。

テーマやモチーフ、背景美術から音楽に至るまで、とても繊細な世界を扱った作品で美しかった。モヤモヤを積み重ねて、最後で本音を吐露させて爆発的なカタルシスに導く手法は、『あの花』と同じで、ちょっとズルいなと思いつつも嫌いになれなくて。確かにああいうトーンは海外の有名アニメ作品には見かけないし、外国の人には日本らしさとして新鮮に映るのかなとは思いました。

ただ、アニメがあまりに美しく理想化されすぎていて、あんなにもリアリティあふれる世界を扱っているにも関わらず、現実感から遠く乖離しているというか…。たとえば、これとまったく同じセリフ、同じカット割りで実写化したとすると、違和感がすごそうで。決して声優さんのお芝居だけではなくて…。何に引っかかっているのか、うまく言語化できない。
それが、このフォーマットでしか表現できない何かに挑戦しているからなのか、あるいは(敢えて揶揄するような表現を使ってしまうけど)オタクくささが抜けていないだけなのか、ちょっとよく分からないです。でもこれ、私は楽しめました。

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